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第11回 河川情報センター講演会 講演記録
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第11回 河川情報センター講演会 講演記録

 最近の日本の豪雨災害と災害情報を巡る諸課題
   〜新地域固有の災害特性の視点から〜

○開催日時 平成21年6月11日(木) 17:00〜18:30
○開催場所 (財)河川情報センター 3F  A・B・C会議室
○講  師 牛山 素行 氏
 静岡大学防災総合センター 准教授/博士(農学)/博士(工学)
 専門分野:災害情報学・自然災害科学(豪雨災害)
○講演内容
 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介いただきました静岡大学防災総合センターの牛山でございます。ただ、「静岡大学の牛山です」というようになったのはまだここ2カ月ちょっとでありまして、まだ私、静岡大学の素人でございます。

 今日皆さんにお配りしている資料の中に、静岡大学防災総合センターのパンフレットというのがあるかと思いますけれども、静岡大学防災総合センターは昨年度新しく設置された部局です。静岡というと地震ということで、防災先進県というようなイメージがあるんですけれども、意外に静岡大学の中では今まで防災研究に対する取り組みというのがそれほど活発ではなかった面がありまして、そのあたりを拡充したいということで昨年度新設されたセンターでございます。センターとはいいましても、専任者は私ともう1人准教授の林先生という地震の方の2人だけで、あとは全員兼任で、実質的に兼任の先生も含めて七、八人というような体制で動いております。

 

 目指すものとしては地域社会との連携、それから学内での防災に関する教育、これは体験的なこともそうなんですけれども、広く教養的な防災教育をできないかというようなお話、それから特に教育機関とか,様々な技術者の方とか,そういった人たちに対する教育といったことを、いろいろできないだろうかと考えております。ただ、実はそんなにやることががっちり決まっているわけではありませんで、ある意味非常に自由な、創造性を生かして防災研究あるいは地域防災に対してどうアプローチしていくことができるかというようなことを考えるための部局として、頑張っているところでございます。ですので、ちょっと最初は部局宣伝でございますけれども、いろいろやっていきたいと思っておりますので、何か私どものほうでできることがありましたら、ぜひお声がけをいただければと思います。

 さて、本題に入りたいと思います。

 本日はこういう題にさせていただきまして、私の専門、私自身の自己紹介は、先ほどもご紹介いただきましたように4枚ものの、とても自己顕示欲バリバリ出まくりのすごい資料がありますけれども、そこにいろいろなことが書いてありますが、要は災害と情報というのが大きなキーワードになっています。要するに、情報を使って災害による被害を軽減できないかというようなことに関して、広い意味での調査研究をするというのが私のスタンスであります。

 といいましても、私、もともとの出身は農学部の砂防でありまして、どちらかというと気象災害、雨による災害を中心としてやっております。ですので、今日も主に雨による災害と情報に関するお話をいろいろしてみたいと思います。

 最初からなんですが、私自身災害と情報ということに関していろいろやってはいるのですが、どちらかというと情報による被害軽減ということに実は否定的です。それがいかにうまくいかないかという話を、今日はいろいろしていきたいと思います。

 本日お集まりの方は技術者の方が中心ということですので、今さら言うことはないと思いますけれども、私が人に災害の話をするときには必ず最初にこの絵を使います。災害とは何かと、災害と防災とは何かということを絵であらわしたものです。災害というのは結局何か大きな力、自然の力が発生することによって始まるわけですね。ですけれども、大きな自然の力が自然界に作用した場合、それは単なる自然の営みであって、別にさしたることはないわけであります。ところが、大きな力が人間社会に作用すると、全く同じものであっても、全く同じものが自然界に作用するんじゃなくて人間社会に作用すると、それは人にとって、人間社会にとって都合の悪い現象になりまして、その結果として起こるのが災害というわけであります。

 そういう話をするときによく言うんですけれども、地震は災害ではないですよね。人がいるところで地震が起こるから災害になるのであって、地震による災害と地震というのは別であります。地震という大きな外力があって、それが人のいないところで起こってもそれは別に災害にならない、人がいるところに起こると災害になると。そして,地震なり大雨なりの大きな外力が人間社会に加わるところに何か対策を施す、あるいは外力が加わった人間社会の側に何か対策を施す、これらが防災になるわけだということになるんだろうと思います。

 だから、災害と防災とそれから外力といったものの関係というのを最初に基本的に整理しておかないと、そもそも防災とは何なのか、防災のために何かをするということがよく言われるんですけれども、防災とは、その中のどこをやろうとしているのかということによって、話は大きく変わってくるわけです。ですので、まずはそのあたりの切り分けを、我々は理解していかなきゃいけないんだろうなと思います。

 このあたりも皆さんには説明するまでもないと思います。防災対策というのにはハード防災とソフト防災があるということは、最近ほとんど常識のように語られているわけです。ちょっと前まではといってももう十数年くらいですね、阪神大震災より前くらいになりますと、防災対策というのはすなわちハード対策だったわけですね。何か大きな災害が起こりますと、起こって数年たつとこういう記念誌とかよくできますね。このケースで台風による大雨災害があったんですけれども、「こんなみすぼらしい川だったのが、こんな(コンクリートでてきた)立派な川になりました」というようなことがよく載ってくるわけですね。多分、今だとこういうのは受け入れられなくなって、これが立派だと人々が思ってくれなくなったんだと思いますけれども、こういうことをするのが防災であり復興であったというのが、ちょっと前までのイメージだろうと思います。

 ちなみに、私はハード防災対策に対しては全然否定的ではなくて、これからもハード防災は大いにやらなきゃいけないと思うんですけれども、ほんの短期間の間にそういうハード防災に対するイメージというのが大きく変わってしまったと、人の心というのは非常に移ろいやすいものだなと思うわけです。

 しかし、ハード防災というのがいろいろな意味で限界を迎えてきている、これも皆さんにとってよくおわかりだろうと思います。ひとつには予算的な問題があるでしょうし、それからそもそもハード防災というのは必ず想定外力というのがあるわけですね。想定外力を超過するような現象に対しては対応し切れないと。だからハード対策はだめなんだという人たちもいますけれども、私はだめなんだとは絶対思いませんが、ハード対策とそのほかの対策を組み合わせてやっていかなきゃいけないと、そのあたりは皆さんだれでも合意するところだろうと思います。

 それに加えてソフト対策を支援するような、例えばいろいろな観測技術とか通信技術といったものが進歩してきまして、その結果としてソフト防災対策に対する期待というのが高まってきているわけです。ソフト防災対策というのもいろいろあるわけでありますけれども、私の今扱っております災害情報というのは、ソフト防災対策の中の非常に代表的な一例であると思います。

 なんですけれども、先ほども最初にちょっとお断りしましたように、ソフト防災対策というのは実は夢の対策ではなくて、非常に厄介な手法だと思わざるを得ません。ハード対策というのはほんとうによかったなと思わざるを得ないわけです。ソフト防災対策というのは、従来のハード対策とは少し考え方を変えて整備活用していかなければいけないという特性を持っているんだろうと思います。

 最近の豪雨災害に関する情報の整備状況、これも今日お集まりの皆さんでしたら今さら言うまでもないわけでありますけれども、例えば国交省の川の防災情報というホームページがありますが、非常に濃密な雨量観測所、それから水位観測所のデータといったものが、我々は簡単に見ることができるようになったわけであります。ほんとうにもう今すっかりこれが当たり前になりましたけれども、こんなふうになったのはまだ10年たっていないんですね、それだけ大きな変化が生じたわけです。川の水位も非常に懇切丁寧に出るようになってきたというのは、ほんとうにこれは今は当たり前になっちゃったんですけれども、これもごく最近のお話であります。

 それから、これも皆さんには言うまでもないんですけれども、川の水位の予想というのもなされていますよと、それも発表されていますよと、だれでも見ることができますよという時代になってきているわけですね。それから解析雨量とか、1キロメッシュくらいでの降水量の分布といった情報というのも、だれでも簡単に見ることができるようになったと。そういったものを携帯電話から見ることもできるし、アラートメールという、登録しておくと希望する情報をメールで配信してくれるというようなことも、別に珍しくはないわけです。それから従来から、古くからある警報、気象警報のたぐいもいろいろあるわけですけれども、気象警報というのも、単に「大雨警報が出ましたよ」という発表がなされるだけではなくて、それを補足する情報というのがいろいろ出るようになってきていると。こういった文章情報、先ほどの水位の話もそうですけれども、単に「大雨警報ですよ」とか、「水位を超えますよ」という話だけではなくて、それを解説するような情報というのも非常に懇切丁寧に出るようになってきているというわけであります。なんですけれども、それがいまだに、そのこと自体がなかなか理解してもらえないというのが実態であります。

 もうほんとうに私は嫌になるんですけれども、いまだにこんな話を聞くことが珍しくないですね。「山のほうの雨量がわからない。だから山に雨量計を設置してくれ」という情報ニーズとか。もういいかげんにしてほしいと思います。それから、「川の水位がわからない。だから伝令を出して確認に行っているんだ」というような話というのも、聞きますね。だけども、皆さんおわかりのように、こんな時代ではもうないわけです。明らかにそんな時代ではない、そういう状況がもう数年たっているんですけれども、いまだにこういった理解がなされるわけです。

 今いろいろ挙げてきましたように、とにかく情報はたくさん整備が進んでいると、使える情報は非常に増えてきているということは、いわゆる専門家にとってはごく、ごく当たり前のことになっているんですけれども、それが一般には必ずしも常識になっているとは言えないというのが、非常に大きな問題だろうと思います。それはおそらく、今後も大きく変わっていくことはないのではないのかなという気がします。

 現代の災害情報をめぐる情勢というのは普通の人にも使える災害情報が非常に充実してきたことは間違いないところであります。普通の人にも使えるということは、広く一般市民というだけではなくて、必ずしも専門家ではないが,市町村の防災担当者のような地域での判断をする人、地域の防災対応する人というのもここら辺に含まれると思います。

 なんですけれども、そもそもそういうものに対する認知が進まないとか、過度に依存してしまう、あるいは逆に誤解されてしまうと、いろいろな課題があります。結局その結果として、情報を生かすということはなかなか簡単ではないと思わざるを得ないわけであります。

 どういう問題があるかということなんですけれども、私はいつも4つくらい挙げるんですが、1つには先ほどもちょっと触れましたが、情報があること自体が認知してもらえないと。どんなにきれいないい情報を整備しても、それがあるということを人が知ってくれないと。それから、じゃあ知ってくれたら使うかというと、そうでもないという問題ですね。それから、知ってもらったとしても、あるいは使う気がある人がいたとしても、結局緊急時に機能しないと。それから先ほど言いました、使う人がそれに依存してしまう、その情報を待ってしまうというような問題、大きくこんなような問題があるんじゃないかと思います。

 そのあたり、ちょっと具体的例を挙げたいと思いますけれども、まず情報の存在自体が認知されないという問題、これはだれでも予想がつくと思います。どんなにいい情報があってもそれを知ってもらえないという話です。ここで挙げますのは、私、2007年と2004年にネットアンケートで、インターネットをよく利用している人たちを対象としたアンケート調査をやっています。それから、2006年に北海道を中心としてそんなに大規模ではないんですが洪水災害がありまして、その被災地を対象とした調査をやっております。まずこういった情報に対する認知状況、こういった情報がそもそも認知してもらっているかどうかということです。例えば、まずYahoo天気情報は、「よく見ている」とか「見たことはある」という人、要するに認知している人、実際に使ったことがある人が大半、9割近くに達しているわけです。これはもう2004年の調査の時点でも8割を超えておりまして、そんなに大きく変わっていないわけです。ほとんどの人がこういった情報はよく見ているわけです。

 なんですけれども、残念ながら、例えば川の防災情報は非常にすぐれたページだと私は思いますけれども、これになりますと「よく見ている」という回答はもう棒グラフ上で見えないくらい少ないんです。この4.5%、3.9%というのは「見たことはある」の割合でありますので、「よく見ている」は1%にも満たないです。だから「よく見ている」と「見たことはある」というのをあわせても5%に満たない、ほとんどだれも知らないと、マニアしか知らないというわけですね。しかも、2004年の調査でも2007年の調査でもほとんど変わらないわけです。なので、結局どれだけ詳しい情報あるいは専門家の目から見て「あっ、いい情報が出てきたな」と思うようなページが整備されたとしても、まず普通の人にはそれを知ってもらえないと。で、今後もみんながそれを知るという状況は、ほとんど期待できないというような実態があるわけであります。このあたりは、どなたでもある程度は想像がつくところだと思います。

 じゃあ、「知ってくれないんだから、周知啓発すればいい」と思うかもしれませんけれども、話はそうはうまくいかなくて、周知しても実は使ってもらえないんです。同じアンケートで、じゃあ大雨による災害が起こりそうなときに、パソコンや携帯電話からこれらの情報を実際に見て参考にすると思いますかと聞いた結果です.つまり,このアンケートの回答者に対しては、実はこんなページが整備されているというのを提示して,こんなのがあるんですけれども、じゃあそれを使う気になりますかということを尋ねているわけですね。まず2004年の結果です。この「見る」というのは「確実に見る」という回答です。「確実に見る」は1割もいないんです、数%。「見る可能性はある」というのを入れても2割いくかどうかです。「パソコンから見る」というのよりも「携帯から見る」のほうがより低いわけです。「どちらとも言えない」という回答が結構多いわけですね。ですので、「どちらとも言えない」というのも含めて消極的な回答がほとんどなわけです。それどころか、この黒いのは、グラフでは「見ない」と書いてありますけれども、選択肢ではこれは「確実に見ない」なんです。絶対そんなものは見るものかと思う人たちが1割くらい,携帯電話から水位を見ようなんていう話になると、もう4分の1くらいは「そんなもの絶対見ない」という人たちになるわけですね。「見る可能性は低い」と、このあたりの人たちもまず見ないでしょう。すると,携帯から水位を見るということに対して消極的な回答は6割近いわけです。ですので、例えこういう情報があるということを知らせたとしても、それを喜んで使いたがる人というのは、やっぱりマニアのレベルしかいないわけです。普通の人はなかなかその気にはならないということがわかります。

 じゃあ、時代が進めば変わるかというと、変わらないんです。2007年の調査でもほとんど変わらないんです。ここにある「絶対見るもんか」の人たちの率というのはあまり変わらないんです。「見る可能性は低い」という人たちの率もほとんど変わらないです。だから、結局「可能性はある」という消極的な参照意向の人たちというのはそんなに当てになるものではないわけですから、「どちらとも言えない」という回答が「可能性はある」に少しシフトしたというだけの変化が、この2004年から2007年の変化ですから、結局そういうことになると、こういうものがあってもう確実に見たいと思う人というのは、つまるところ数%しかいないというわけですね。それ以上に確実に見ない、絶対に見ないという人たちのほうがそれよりもずっと多いという状況は変わらないわけです。

 ですから、こういったいろいろなリアルタイムの災害情報のページができるわけですけれども、できたからといって、それをみんながとにかく切望しているということでは、どうやらないだろうということなんです。広く一般に情報公開してという趣旨で一応こういう情報を整理するわけです。もちろんその方針自体は間違っているとは私は思いませんけれども、でも実はほんとうに不特定多数が使うかというと,必ずしもそういう使い方がなされる訳ではないのではないのかなという気がいたします。

 今示した結果はインターネットアンケートですので、別に災害を経験した人たちではありません。では災害を経験した人たちは少し意見が変わるかというと、多少は変わるというくらいですね。これは先ほど言いました北海道で洪水災害の被災をした地域、浸水家屋はそんなに多くなかったんですが、避難勧告が出まして、かなりの数の人たちが実際に避難したという地域なんですけれども、そこでの調査結果を見るところ、やっぱり「確実に見ない」と「見る可能性は低い」の比率が大体4分の1くらいになっているわけです。「確実に見る」という積極的な利用意向というのは、やっと2割くらいにしかならないわけであります。先ほどのネットアンケートは、回答者の年代が若い方に偏っていたんですね。こういう普通の住民調査をしますと回答者の年代がもっと上のほうに高くなります。50代、60代以上の人たちの回答が多くなるんですけれども、そういう高齢者で被災経験がある人たちの回答だと考えていただいていいと思うんですけれども、実際にそういう経験をしたりして、おそらく雨量とか水位の情報に対するニーズが高そうな地域で聞いても、こういうものを確実に見るという回答は決して多数派にならないということは、大体間違いのないところなんじゃないのかなと思います。

 先ほどネットアンケートのところは、若年層といっても10代は少なく、30代、40代が中心ですけれども、要するに情報技術の利用に習熟している人たちに聞いても、やっぱりそんなに積極的に見たいとは思わないという結果になっているわけなんですね。ですので、とにかくこういう情報というのは、整備すること自体はもちろん必要なんですけれども、整備しさえすれば、それを人に知ってもらえさえすれば使ってもらえるものではないだろうということです。

 じゃあ何で使わないのかということについての自由回答、これはネットアンケート、それから被災地アンケートの両方で尋ねているわけですけれども、そうすると、比較的多いのは「テレビや何かのほかの情報源のほうが使いやすいだろう」と、これは非常に納得のいくところですね。それから、特にネットアンケートのほうでこういう回答が多かったんですけれども、「実際の災害のとき、パソコンを開いたり携帯をちゃんとつなげたりということができるかどうか、甚だ疑問である」と。これもやっぱり使い慣れた人であれば当然こういうことを考えるわけですね。これも納得のいくところであります。

 それから、「こんな情報はほんとうに緊急のときしか使わないので、どうつないでいいかということをそもそも覚えていないだろう」と、たまにしか使わないような情報というのは結局のところ使わないだろうというような意見ですね、こういうものもかなりありました。結局、とにかく情報整備したとしても、それをだれでもいざというときに使って整然と行動するというようなことには、おそらくなかなかなっていかないだろうと思われるわけですね。

 それから情報に依存してしまう話、これもよくある話で、これは雨の災害ではなくて津波の災害の例で言いますけれども、これは2003年に三陸南地震というのがありまして、このとき一番強いところで震度6弱、非常に強い揺れがありました。この当時の気象庁の情報伝達の方法として、地震があってその後に津波が予想されない場合は、「津波がないです」という情報を発表するのは後回しにして、地震そのものの情報を先に伝えるというルールだったんですね。このときは直後に津波は予想されないというデータが出たものですから、そのこと自体が伝えられるのは後に回されて、10分間ほど津波があるかないかについての情報が発表されなかった時間帯というのがあったんですね。じゃあそのときに人々はどうしたかと、どう考えたかということです。テレビ等で津波発生の危険性の有無が伝えられる前の時点、つまり地震後10分以内ぐらいのときに、「津波が来ると思いましたか」という質問に対しては、9割方の人が「これは津波発生の可能性がある」、あるいは「可能性が高い」と回答しているんです。地震に津波という発想がつながっているという意味では、人々の認識に全然問題はないわけですね。じゃあ、「地震直後,津波に備えて何か行動しましたか」と質問しますと、「すぐに高台や建物高層階に避難した」という回答は1割、実際に行動を起こしたという人は1割にとどまるわけです。これは私の調査ではこうなんですけれども、ほかの調査のやり方、群馬大学の片田先生の調査ですと、地域を絞ってもうちょっと厳密に調べたら1%しかいないというような結果も出ておりまして、要するにほとんどの人は、津波が来ると思っても実際に行動は起こしていなかったわけです。

 ではどういう人たちが大勢かというと、「津波警報が出たら避難しようと思った」、あるいは,「避難勧告が出たら避難しようと思った」という回答です。ですから、要するに、これも片田先生の受け売りですけれども、みんながテレビの前に座って、今か、今かと津波警報が出るのを待っているという状態だったと思われますね。おそらく自分自身も当事者になったらそうかもしれないんですけれども、結局これはまさに情報に対する依存なわけですね。津波が来るときは情報が出ると、津波警報が発表されるというイメージがあるわけですね。ですので、情報というのは高度化あるいは整備が進めば進むほど、おそらくこういう人たちをたくさん生んでしまうのではないかなということが懸念されるわけであります。

 これまでは情報をめぐるいろいろな問題の話を言いました。ここで少し話の方向性を変えますけれども、大雨によって被害が発生します、特に人の被害、人が亡くなってしまうような被害ですね。これはよくあるわけなんですけれども、それに対するいろいろな誤解があるだろうと思うわけです。これも情報に絡むような誤解です。例えば大雨による人的被害、犠牲者は高齢者に集中していると。高齢者が逃げ遅れて、取り残された自宅が流されて犠牲になっていると。だから早目の避難勧告とか近隣の助け合いで被害を軽減しなきゃと、要援護者とかいうキーワードも出てきそうですけれども、そんなようなイメージがあるのではないかと思います。

 なんですけれども、そのイメージというのがほんとうに正しいかどうかというと、必ずしも正しいイメージではないんですね。例えばこれは2004年の台風23号、これは非常に大きな、近年の豪雨災害としては極めて大きな災害で、約100人の人が亡くなった事例ですけれども、このときのある場所、これは淡路島の洲本市というところです。ここではため池が決壊して、いわゆる鉄砲水が発生して、この川沿いにあった家が流されて、、このときこの家にいた住民の74歳の女性と、家を訪ねてきていた82歳の男性が流されて亡くなっています。これがまさに洪水災害だなと思うかもしれません。ですけれども、こういうやられ方というのはものすごく珍しいんです。かなり一生懸命探さないと、最近の日本の豪雨災害でこういう形の被災事例というのは見つからないんです。要するに、洪水で家が流されて人が死ぬということが、最近ほとんど発生していないんですね。

 じゃあ、洪水では主にどうやって人が亡くなっているかということなんですけれども、比較的多いのは車の運転中に流されて亡くなっているというケースです。これは同じく2004年、台風23号のときの京都府舞鶴市、由良川の下流部です。ご記憶の方も多いんじゃないかと思いますけれども、バスの屋根に三十数人取り残されて、一夜を明かして助けられたという事例があったかと思います。ここはその現場です。あのバスの三十数人は助けられて、「ああ、よかった、よかった」なんですけれども、実はあの周りで何人も死んでいるんです。バスが助けられたことだけが伝えられて、その周りで何人も死んだということはちっとも伝えられなかったんですが、実際はそうなんですね。

 まず、ここは実はそのバスの現場のところです。バスのすぐ後ろにトラックがおりまして、そのトラックを運転していた51歳の男性の方、この人は流されて亡くなっています。そこから1キロほど下流、ここの橋の近く、この付近のどこかで、やはり自家用車を運転中の77歳の男性が流されて亡くなっています。それからさらに1キロ下流、ここのしののめという駅の付近で自家用車を運転中の54歳の女性が、やはり車に乗っていて流されて亡くなっています。ほんとうに車に乗って流されて亡くなっていたのかといぶかしむかもしれませんけれども、それはほんとうです。例えばこの54歳の女性は、死ぬ直前に家族と携帯電話で会話して「流されて大変」と言っていますから、そうやって流されて亡くなっているんですね。ところがそういったことはちっとも伝えられないわけです。で、バスの三十数人が助けられた話ばかりが伝えられて、そういう悲惨な話は印象に残っていないわけです。しかも、この台風23号というのは10月20日の災害です。10月23日に中越地震が起きましたから、メディアの関心はさーっと中越地震に行っちゃって、数の上ではたくさん亡くなっているこういう現象が後に残らないわけであります。

 これは18年7月豪雨、岡谷市の現場ですね。これは典型的な土石流災害です。この湊3丁目で7名亡くなっていますね。こういう土石流災害で亡くなるタイプというのも、もちろんかなり多いですね。それから、これはやっぱり18年7月豪雨のとき,鹿児島県の大口市というところの現場です。堂崎というところなんですけれども、これが川内川で、そこへ支流が合流するあたりで、地形的に見てもいかにも水がたまりそうなところで、もともとそういうところなので、家の地盤自体が1メートル以上かなりかさ上げされているんですね。ですけれども、それでも床上浸水になるくらいですから、2メートル以上この場所では浸水が起きています。被災したのはここのお宅の住民の方で、避難しようとして家を出たところ、流されて亡くなったと、86歳の女性ですけれどもそういう状況です。ごらんになってもわかりますように、この家自体は別に流されていないんです。だから、あくまでも結果論ですけれども、ここの場合は、怖いんですけれども2階で頑張っていれば、この人は実は亡くならずに済んだかもしれないわけですね。だから、もちろん逃げたくなる気持ちは当然なんですけれども、無理に避難しようとしたことが結果として犠牲を生んでしまったというようなケースといってもいいかもしれないですね。

 これは、2007年の秋に北東北を中心として発生した災害です。ここの現場は盛岡市ですけれども、自宅前の川の様子を見に行った59歳の男性が行方不明になって、その後、川で流されたと思われる状況で死亡が確認されています。その川というのがこれなんです。自宅というのはこのあたりなんで、この写真を見てこの話だけ聞きますと、「あっ、なるほど、この川がきっとこの道にあふれていて、それで足をとられて流されたんだろうな」と思うかもしれませんけれども、全然そんなことはないんです。ここの現場を反対側から見た写真がこれで、洪水の痕跡はせいぜいこれくらいまでしかないんです。現在の水面がここで、洪水の痕跡はこの辺までしかないので、要するにここにちょっとだけコンクリート護岸が見えますけれども、現在の水位よりもせいぜい50センチくらいしか水位が上がっていないんです。ですので、とてもじゃないけれども、あふれてこのあたりに広がっていったというような状況はないんです。それから道路と川の間は全く切れ目なしにガードレールで仕切られていまして、よっぽど確信的に川に近づかなければ、足をとられて川に落ちることは絶対にあり得ない状況なんです。でも、実際にはこうして亡くなっています。こういうパターンは非常に多いんです。家が流されて亡くなるよりも、ずっとこういうパターンのほうが多いんです。

 それから車に乗って流される話と一緒ですけれども、これはバイクに乗って流されてしまったんですね。ここが北上川なんですけれども、この北上川がここは実際にはんらんしてあふれていまして、洪水流がこういう感じで流れいったみたいです。で、この道路なんですけれども、この道路をバイクで走っていて、流れにとられて流されて、それで亡くなったという現場であります。では、もちろんこれで見てわかるように、洪水流は右から左に向かって流れていったわけですね。ここのところに段差がある、ここに落掘ができていますけれども、ジャージャーと滝のように流れ落ちていたんでしょうね。このあたりの洪水痕跡、ちょっと不明瞭なんですけれども、草や何かが引っかかっている高さで見ますとせいぜい30センチくらいです。ですから走って突っ切れるだろうなと思われても仕方がないようなところですね。

 ただ、皆さんご承知のように、水というのは、流れがある水と流れがない水というのは全然違うわけですね。いろいろな実験の成果がありますけれども、歩行時の場合だったら流速1メートルで水深50センチ、ひざ下まで水があれば歩行困難になる人が大半になるというような実験結果がありますけれども、これはほとんど車でも一緒なんですね。車の場合だと20センチぐらい浸水しているところに突っ込むとエンストが始まるらしいですね。五、六十センチ浸水しているところになると車が浮き始めるというような調査結果があります。五、六十センチのところに突っ込んで浮いちゃえば、流れがあればもう制御不能になるわけですよね。先ほど話にありました、流されて亡くなった人というような状況になってしまいかねないわけです。こういうケースで亡くなるパターンというのが、かなり実は多くあるわけであります。

 こういうふうにいろいろ豪雨災害の現場を見てきますと、どうも一般的にイメージされていることと実際の被災形態というのが、少し違うんじゃないのかなという感じがしてくるわけです。私はそういう調査を最近ずっとしているんですが、2004年から2007年の間のあわせて15事例、239名の亡くなった方についての解析をしています。その結果、まずどうやって亡くなったかと原因別に見てみますと、大体3分の1は土砂災害ですね。土砂災害による犠牲者が多いというのはよく言われているところで、これはよくわかります。あと、ほんとうに洪水そのもので亡くなった人というのが3分の1くらい――26%だから4分の1くらいですか。無視できないのが事故型というパターンです。これは私なりの分類でありまして、事故型というのは移動や避難の目的ではなくて、みずからの意志で危険な場所に近づいたことによっておぼれて死んだりしたような人。具体例としては、田んぼや用水路の見回りに行って水路に落ちて死亡、水路や水門の障害物を除去し、ごみを取ろうとして転落して死亡とかそういうケース。そのケースというのが4分の1くらいいるわけです。これは53人なんですが、そのうちのほとんどの47名は田んぼの様子を見にいって用水路に転落して死亡という人たちです。この洪水と事故型をあわせた人たちでほぼ半数になるんですけれども、この人たちのほとんどは溺死です。溺死ですから、洪水であふれた水に流されて亡くなったような気がするんですけれども、そういう人たちというのはその半分、全体の4分の1でありまして、溺死は溺死でも、その残り半分はこの用水路に転落して死亡なんですね。だから溺死者が多いからといって、洪水そのもので人がたくさん亡くなっているという状況はないんです。しかも、先ほどから強調しておりますように、この人たちの犠牲形態のほとんどは、家が流されて亡くなったのではなくて、出歩いている最中に亡くなっているんです。

 年代別にも非常に特徴的なところがありまして、全体で見ますと確かに65歳以上の高齢者の比率が6割近くですからちょっと多いんです。ですから高齢者がよく亡くなっているということ自体はうそではないんですけれども、形態によってそれは違うんですね。まず土砂災害は7割方が高齢者です。ですので、土砂災害の場合は高齢者がよくやられているということは間違いないでしょうね。だけど、ただ注意しなければいけないのは、これも別に高齢者だけが逃げられずに、逃げ遅れて亡くなっているんじゃなくて、例えば家1軒やられてもお年寄りだけが死んでいるというようなケースというのはよくあるわけですね。あるいは、お年寄りしか住んでいない地域で土砂災害が発生して亡くなっているというようなケースがあって、要するに周りの人たち、例えば若い人たちは逃げているんだけれども年寄りが残って亡くなったというようなケースというのはほとんど見出せないんです。ですから、これも別に高齢者だから亡くなったのかというと、いささか難しい面があると思うんですけれども、ただ、いずれにしても土砂災害の場合は高齢者に確かに集中しています。

 もっと集中しているのは事故型です。田んぼや用水路の見回りに行って、落ちて亡くなる人のほとんどは高齢者なわけです。洪水そのものになるとそれが半々くらいになりますから、ちょっと状況は変わってくるわけですね。洪水そのもので亡くなる、先ほど言った車や何かで流されて亡くなる人ですと、若い人もそれなりに比率が増えてくるというわけであります。確かに全体としての高齢者が多いから、高齢者に被害が集中というのは間違った印象ではないんですけれども、じゃあ高齢者は主にどうやって亡くなっているかというと、田んぼや用水路を見回りに行って落ちて亡くなっているわけです。そうすると、要援護者支援を幾らやっても、そういう人たちの犠牲というのはおそらく減らないですよね。もちろん要援護者支援が要らないとか無駄だとかそういう話ではないですし、高齢者のことを考えなくていいとかそういう話ではないんですけれども、高齢者が多く亡くなっているという事実だけをもとにして、何となくイメージで高齢者は動きにくいからそれでやられるんだろうというような類推を働かせていくということは、必ずしも被害の実態に合っていないんじゃないのかなという気がいたします。

 それから亡くなった場所で見ると、これも非常に特徴的です。屋内で亡くなったか、屋外で亡くなったかというところです。この場合の屋内はほとんど自宅です。これはもう被害の形態別にはっきりした結果が出まして、土砂災害はほとんど屋内、つまり自宅で亡くなっています。なんですけれども、先ほどから強調していますように、洪水災害で自宅で亡くなっている人は15人,全体の6%くらいしかいないんです。これが洪水で逃げ遅れて取り残されて溺死だというケースで、そういう人はもちろんゼロではないんですけれども、非常に数としては少ない。洪水災害の場合はほとんどが屋外、移動中、歩行中あるいは車で移動中に亡くなっているわけです。ですから、そういうところの対策を立てていかなければ、ここの部分というのは減らないわけですね。

 今の災害情報の伝達のイメージとしては、とにかく避難が遅れると、だから早期に避難しなきゃということで、自宅にいる人を早く逃がそうという基本的な発想があるわけですね。ところが、自宅にいて亡くなっている人というのは、土砂災害はほとんどそうだけれども、その他の災害は必ずしもそうではないわけですね。だからその形態で救える命というのにおのずと限界があるわけであります。

 あと、こういうのも結構絶望的な話なんですけれども、避難行動をとっていたか、とっていないか。大概は亡くなった人は別に避難行動をとっていないんです。だから避難しなかったから亡くなったんだというのが大勢ではあるんですけれども、1割くらいは避難行動はとったけれども亡くなってしまたという人たちが出ているわけです。その形態は、避難した先がやられてしまったケースとか、避難しようと思って車や何かで移動中に遭難したというケース、それから避難したんだけれども、その後いろいろな目的で避難所から出てそれでやられてしまったというようなケースというのがありまして、実は避難さえすればそれでゴールか、あるいは避難する気になりさえすればゴールかというと、どうやらそうではないようだということなわけであります。

 ですから、単純によくメディア的に批判されるのは「情報が伝わなかったからいけない」というようなことが言われるわけですけれども、じゃあ情報が伝わっていれば助かったかというと、これを見ていくと、どうも必ずしもそうはいかないんじゃないのかなというような感じがしてくるわけであります。

 そもそも避難ということについて、もうちょっと我々は冷静にというか多角的に考えたほうがいいんじゃないのかなという気がしています。災害イコール避難だろうかと。災害イコール避難というイメージが非常に強いんですけれども、ほんとうにそうだろうかとよくよく整理して考えてみますと、そうじゃないと思うんですね。それは災害の種類によって違うと思うんです。災害を引き起こすような大きな外力が発生した場合に、四の五の言わずに絶対に早く逃げなきゃいけない災害というのは、おそらくは津波だけなんです。津波は一番単純明快なんですね。僕も東北に初めて行ったときから津波災害とつき合うようになったんですけれども、津波災害の対策というのをいろいろ勉強する中で一番感じたのは、豪雨災害に比べて津波災害というのは話が単純でいいなと。とにかくトリガーがはっきりしていて、とるべき行動とか行くべきところもはっきりしていて、すごく話がクリアだというイメージがあったんですね。津波はまさにそうなんです。とにかく四の五の言わずに一刻も早く逃げると、逃げる場所もはっきり覚えておくと、決めておくと、そこへ目指してとにかく早く行くと、非常に行動形態は単純なんです。それだけ単純な、何か起こったら即避難ということが絶対正解になる災害というのは津波だけなんです。

 じゃ洪水や土砂災害はどうかというと、確かに危険な場所では早目に避難したほうがそれはいいです。それはいいんだけれども、先にも紹介しましたように、周りがもう浸水が進んでしまったというような状況下だと、無理な行動によってかえって亡くなってしまうこともあるかもしれないわけですね。そうすると、状況によってあるいは時系列によって話は変わってくるわけです。洪水や土砂災害の場合だと起こる現象も、あるいはやられる場所というのも、そのときの状況によって相当大きく変わりますから、絶対に安全な避難場所とか絶対に安全な避難経路というのは、おそらくなかなか出てこないだろうと思います。そうするとやっぱり津波ほど話は単純じゃなくなってくるわけですね。

 それから、地震なんかになりますともっと複雑で、そもそも地震のときに何で避難しているのかというと、家が住めなくなったから避難しているんですよね。別に地震のときに全市民が避難しなきゃいけないかというと、そんな必然性はどこにもないんです。そうすると、地震災害の対策として避難場所を確認しましょうとか、避難経路を決めましょうとかというのをよくやるんですけれども、それが何よりも先に一生懸命やる必要性があるような対策かというと、かなり疑問なわけですよね。みんなが避難しなきゃいけないかどうかわかんないし、地震のときに一刻を争って避難しなきゃいけないかというと、そういう状況ではなかなかないわけです。地震のときに一刻を争って避難しなきゃいけないようなのは、ものすごい火災が発生してというようなときは確かにそうで、東京なんかですとこういう問題が深刻な地域はあるんですけれども、全国的に見ると、必ずしもそういうところばかりではないはずですね。ですから、災害イコール避難という何となく当然だと思うようなことだけ一つとっても、実はそれがあらゆる場合に最も重要な備えだということには限らないわけなんですね。

 災害対策あるいはその情報をどう活用かするかというような話というのは非常に複雑で、災害というのは時期別があるわけですね、事前・事中・事後とかというのがありますので、こういうのは災害のライフサイクルとかいうわけでありますけれども、災害ライフサイクの中のそれぞれの時点ごとにやるべき対策、あるいは必要な対策、技術といったものが違うわけなんですね。よく非常持ち出し品を用意しましょうとか、非常食を用意しましょうとかいう話があるけれども、あれは事後に役立つ備えですよね。別にそれを幾ら一生懸命用意しておいても、生き残らなければそれは使えないわけですよね。だから、結局「避難しましょう」とか「備えましょう」とかって漠然と言うんですけれども、じゃあ一体何のためにそれをやるのかというと、目的がはっきりしないと何のためにやっているのかよくわからないわけですね。ほんとうにそれがその地域あるいはその人にとって必要なことなのかどうなのかというと、かなり疑問な場合もあるわけであります。

 だから、例えば地震のことばっかり一生懸命考えていたんだけれども、実は洪水災害でやられたとか、土砂災害でやられたとかそういったことだって当然あり得るだろうと思うわけですね。だから、災害というのに対してはそういうマニュアル的な見方だけを持っていくと、非常に危険な目に遭うんじゃないのかなという気がいたします。

 結局いろいろ厄介なわけですね。先ほど、災害のそれぞれの時期ごとにやるべき対策が違うというのがありましたけれども、起こる前に役立つ備えというのは、要するに死なないための備えなわけです。だから家を強くしようとか、危険な場所には住まないようにしようとか、ハザードマップを見て危険な場所を知ろうとかというのは死なないための備えです。非常持ち出し品を用意しようとか、避難所の訓練をしようとか、危機管理の訓練をしようとかというのは立ち直るための備えです。

 危機管理という言葉も僕は非常に安易に使われている面があるなと思って、最近は災害対策がイコール危機管理だというようなイメージがありますけれども、危機管理というのも結局起こった後でしか役立たない技術ですよね。危機管理の目的は、生き残った人が立ち直っていくことをサポートするのが危機管理ですよね。だから、もしそこだけ完璧にこなしたとしても、死ぬ人は大きく減らないでしょう。死ぬ人を減らすのはまた別の対策になってくるはずなんです。だから何のために対策をとるのか、何のためにそのことをやるのかということを考えないと、結局防災に対して投資していくお金も、あるいはマンパワーもそうですけれども限りがあるわけですね。限りがあるマンパワーやお金を何のために投じていくのかというのを考えていかないと、非常に効率の悪い対策をとっていくことがあるかもしれないわけです。

 研究者の悪いくせかもしれません、ああでもない、こうでもないと、結局複雑だということでお茶を濁すんですけれども、じゃあ何か共通する重要事項はないのかということで、あえて言うんだとすれば、おそらくまず先に考える、あるいは知るべきこととしては、対象とする地域ではどんな災害が起きそうなのかということを,なるべく多くの人が正しく把握するということが、私はこれが最初のスタートラインにあるんだと思います。ここから先というのは、おそらく人によって、あるいは立場や地域によって変わってくると思うんです。だれにとってもやるべき重要なこととはここだけなんじゃないのかと。じゃあそれくらいみんなわかっているかというと、決してそんなことではないと思うんですね。そういうことでないから、例えば全国十把一からげで地震対策と、地震対策は非常持ち出し袋の準備とかというような非常に単純な話になっちゃうわけです。そうじゃなくて、その地域で重要なことは何なのか、あるいはその人にとって重要なことは何なのかという個別的な話のはずですよね。だから個別的な話を決めるためには、じゃあそこではどういうことが起こるのかということを知っていないと、個別的な話になっていかないと思うんです。その地域では何が起きるのかということを、多くの人が理解しやすいようになっているというのが現代の利点だと思います。今いろいろな情報の整備が進んでいるわけですね、その整備された情報を使えば対策の入り口に立てると思うわけです。

 このあたりも聞いたことがある人も多いと思いますけれども、災害というのは素因と誘因の組み合わせで起こるということがよく言われます。素因というのはその場所が持っている性質ですね。自然科学的な性質もありますし、社会的な性質もあります。これは脆弱性という言い方をしてもいいと思いますね。その素因に対して誘因、これは先ほどから言っている外力とかハザードとかという言葉とほぼ一緒です。地震とか雨とかこういった大きな力が加わって災害になるわけです。脆弱性があるというだけでは別に災害にはつながらないわけです。その脆弱性のあるところに強い外力が加わったことで災害になるわけです。ですから、素因があるだけでは災害にならないんだけれども、その素因を知らなければその後の対策も立てにくくなってくるということは言えると思います。

 素因を知ることというのは、私は非常に重要だと思います。結局リアルタイムにいつ、どこでどんな災害が起こるということを全部予測するのは、極めて困難ですよね。特にいつどこでというのを予測するのは極めて困難だけれども、その場所ではこんな災害が起こる、つまりその場所には災害に対するこんな素因があるということは、かなりわかるようになってきているわけですね。それは専門家でなければわからないという話ではなくて、ハザードマップに代表されるような、素因を人に説明するような資料の整備が非常に進んでいると思うわけですね。ですから、まずその素因を理解すれば、先ほど言ったそれぞれの人がやるべき対策というのを考えるスタートラインに立てると思うんです。あえて挑発的なことを言いますけれども、よく災害になると「思いもよらないことが起こった」とか、「ここでこんなことが起こるとは」とかいう話がありますけれども、ある程度技術のある人がもっと声を大にして言うべきなんです、「ここでこんなことが起こるとは思わなかったような災害なんてないです」って言うべきなんです。ここはこういう理由で災害が起こったという説明がつくケースがほぼすべてといっていいですよ。なぜここでこんな被害が起こったのかわからないというのはまずないですよね。それは結局起こってみれば、そこにはそういう素因があったんだからという説明がつくからなわけです。「だったらなぜ事前に知らせてくれないんだ」とかって言われるわけですけれども、事前に様々な可能性を知らせることはできるんだけれども、「次はおたくですよ」ということは知らせられないわけですよね。「おたくはこういうことが起こり得ますよ」ということは言えても、それがいつかはわからない。でも,「こんなようなことが起こるよ」ということは言えるわけです。だからそこのところを言うだけで話は相当変わってくると思うわけなんです。何度も強調しますが、それを知らせるための、それを理解するための資料というのはどんどん整備が進んでいるんだから、それは大いに使っていくべきだろうと思うわけです。

 そういうことをする1つの場として、いろいろな意味の住民参加型の活動というのがあると思います。ただ、私は住民参加型の活動というのもいろいろな功罪があると思います。こういうのも実はあまり明確な定義はなくて、あえて私が定義するとすれば、いろいろな資料を使っていろいろな人が参加して、大体地図なんか使った作業を交えて、地域の防災に関して何か話し合いをするような活動のことだと思います。DIGとか図上訓練とか図上演習とかいろいろな呼ばれ方がされていますけれども、大枠では大体こんなような活動で、最近こういう活動がかなり活発化してきていますね。こういう場というのは、先ほど言ったようにいろいろな地域の災害に対する備え、脆弱性といったことを理解するために役立ち得る場だろうとは思います。私自身も過去に何度もやったことがあります、こういう地図を囲んで何か議論するというようなことはよくやるわけです。えてしてこういうような地図をつくって、「防災マップができました」とかって言うわけです。とかって言うんですけれども、これもやっぱり技術を持った人はもっと自信を持って、冷静に言うべきなんです、「こんなの落書きだよ」って、「思いつきを書いた落書きだよ」とはっきり言うべきなんです。だってこれは単に素人が集まって、そこで出た意見を地図の上に書いているだけです。それが正しいかどうかなんてだれも担保できない。もちろん無駄なわけじゃないですよ。これはあくまでもそういう議論をした議事録ですよ。議事録、メモではあるんだけれども、決して防災マップではないです。ハザードマップでもないです。ほんとうの危険がそこに書かれているかどうかだってわからないわけです。もちろんこういうのを全否定するわけじゃありません。こういうのはツールの1つではあるので、こういう活動を通じていろいろなことをやっていくのは重要なんだけれども、そこにはちゃんと技術的な裏づけなり、あるいは今既に整備されている情報や何かが入っていなければただの落書きだと、私はそう言うべきだろうと思います。

 もちろん私自身もこういうことをやっていまして、こういうのを否定するわけではないんです。ワークショップ的な活動は非常におもしろいんです。参加者の能動的な取り組みを引き出すというような意味では非常におもしろいと思います。例えば単にたくさん人を集めて講演会をやるとかそういうのよりはずっとましだろうと思います。やるとほぼ100%盛り上がって、楽しくて何となく満足感が得られるんです。ですから悪い活動ではないと思うんです。悪い活動ではないんですけれども、逆に麻薬的魅力があって、私自身もそれによくとらわれがちなんですけれども、例えばああいうマップづくりをしましょうと、で、防災マップができて、「ああ、すごいのができたよ。この地域の防災力が上がった」みたいな何か満足感が得られちゃって、そのこと自身が行為目的化してしまうというようなことというのがありがちなんですね。

 それから、先ほども強調しましたように、出てきた成果が正しいとは限らないわけです。例えば間違った地域合意というのができちゃったりするかもしれないわけです。それはだれにも保証はできないわけであります。何となくこういう対策というのはどこでもだれでも簡単にできると、お金もかからないというような感じがするんですけれども、それは誤解でありまして、手間がかかるんです。ちゃんとしたことをするには手間がかかるんです。そう思わないとやっていけないわけですね。こういうワークショップ的な取り組みはいいんですけれども、やっぱりいろいろな人が参加してやっていくべきだろうと思います。

 ということで、こういうワークショップ的な住民参加型の活動はいろいろあります。ですけれども、そういった活動にその地域の自然特性あるいは災害特性を考慮しないで、単なる避難訓練の一環みたいなことでやるワークショップというのは、場合によると有害無益になるかもしれませんね。例えば洪水災害の危険性があるのに、地震災害のことを書いたマニュアルに従ってワークショップが行われるということになりますと、これは明らかに不十分なわけでありますので、そういった問題はあります。

 だけどそれぞれの地域の自然特性なんかわからないよというのは、一昔前は確かにそうだったんです。だけど今は違うと思うんですね。今はハザードマップを代表例として地域の災害特性、素因を知るための資料整備というのはすごく進んでいるわけです。それを使える人も、別に特別な研究者でなきゃ使えないとかそういう話ではないわけですね。ですので、いわゆる住民、人を動かすための「活動家」じゃなくて、理工学的な意味での「技術者」というのが、もっとこういうワークショップ的取り組みというのに力を出していくべきなのではないのかなと思っております。

 最初のほうでハード対策とソフト対策の話をしました。ハード対策とソフト対策というのは似ているんです。途中までは似ているんですけれども、その先が違うんですよね。何か計画して何かつくると、ここまでは一緒なんです。でもハード対策は、何かできたらそれですぐ効果が発揮されたんですね。ほんとうにハード対策はよかったわけですよね。ところが、ソフト対策というのはそうはいかないわけですよね。ソフト対策というのはその先もう一段階要るんですね。人がそれを認知して、使う気になって、実際に使ってというところがもう一段階必要になってくるわけです。もちろんなかなかこういうところは難しいんですけれども、ソフト対策は残念ながらそれをやらなければいけないんですね。システムづくりあるいは仕組みづくりをしたとしても、そこまでで終わったのでは決して効果は発揮しないと。その後にそれを人がどう使いかというところがあって初めて効果が発揮されてくるんだと、非常に厄介なわけであります。

 結局災害情報というのは、非常に厄介な代物です。先ほど言ったように、つくっただけでは効果を発揮しないし、それを知られても使ってもらえないと。ハード対策のときは、とにかく技術開発が即被害軽減につながったんですね。使いやすい何かをつくれば改善されるとかいうのがあったんですけれども、情報の場合は、例えばわかりやすい情報あるいは細かい情報を技術的に高めたとしても、それによってすぐに被害軽減が図られるかというと、なかなかそうもいかなというような問題がありますね。で、手間がかかるというようなことで非常に厄介なわけです。結局災害情報という防災対策を生かすためには、人が介在していかなければいけないわけです。人の介在の仕方として、先ほどから強調していますように、いわゆる利用者だけに任せていたのでは決していい方向に結びつくとは限らないわけですね。そこのところでまさにいわゆる専門家、あるいは技術者と呼ばれるような立場の人たちの果たすべき役割というのは、私は非常に高まっていると思います。

 ワークショップ、住民参加型の活動の例を取り上げましたけれども、ああいう地域の活動もそうですし、もう少し大きな社会単位の活動もそうです、人を対象とした防災対策というのが進んできて、従来の技術的な立場からの防災対策が何となく自信を失っている面があるような気が私はしますけれども、私は従来の理工学的な技術者というのはもっと自信を持って、自分たちができることを人々にもっと声を大にして伝えていくべきだろうと思うんです。それがやりやすい環境というのはだんだん整いつつあるので、そのあたりを我々は頑張ってやっていかなきゃいけないんじゃないのかなという感じがいたしております。

 じゃあ、というところで時間も参っておりますので、このあたりで私の話を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

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